
血と汗と涙で
職場を守りぬくことの意味は……
大阪亜鉛の教訓──
誇りを胸に、職場を守った
血と汗と涙で職場を守ってきた誇りを胸に、我々は自力と連帯の道を選び続ける。
孤立を恐れず連帯を求める強い意志が、過去の困難を未来への力へと変えてきた。
血と汗と涙で築いた職場
- 南大阪・港区福崎の溶融亜鉛メッキを生業とする小さな職場。
- 幾度もの危機を、仲間の血と汗と涙で乗り越えてきた。悔しさは再起の糧であり、涙は団結を深める礎である。
- 失われた日々も、諦めずに現場を守るという共通の誇りがあったからこそ耐え抜けた。
二度の倒産と自力再建
- 1975年と1996年の2度の倒産の淵でも、組合は仲間と地域の支援を信じて職場を守った。
- 労金や共闘の資金、職場・地域の自発的出資は、単なる金銭支援にとどまらず「職場を失わない」「団結の場を守る」という強い共同の意思の表れであった。
厳しさを見据え、希望を失わない
- 現実の厳しさに直面しても、我々は再建への道を選び続けた。2度目の倒産・和議下の再出発は、敗北の記録ではなく学びと成長の道程である。
- 労働組合は信頼を取り戻し、仲間の生活を守るための具体的行動で存在意義を示してきた。
連帯を求めて、孤立を恐れない
- 我々の歩みは、孤立を恐れず連帯を強める歴史である。地域の支援と内部の自助は互いに支え合い、困難を乗り越える力となった。
- 変化の時代においても、連帯の力を信じて行動することが、職場と生活の生活を守る根本である。
過去の教訓と未来への責任
- 倒産と再建の経験は、感謝と責任の重さを教えた。支えてくれた仲間や地域への恩は決して忘れてはならない。
- 同じ過ちを繰り返さないための備えと、次世代へ真実を伝える継承が不可欠である。
誇りと自力、そしてこれから
- 自力と連帯で築いた職場の誇りは、企業論理だけでは奪えない強さを示す。
- 苦難の中に勝機を見出し、あきらめずに行動する者だけが持続的な変化を起こせるのである。
私 の 主 張
ここに宣言する。
過去の血と汗と涙は無駄ではなかった。職場を守るために団結し、自力で立て直し、連帯を求め孤立を恐れない姿勢を貫いた。
闘いは終わっていない。
変化する時代の中で、働く者が誇りを持ち、手を取り合い、次代へと 道を開くことを誓う。

ハイキングで
心と体をリフレッシュした
更生終結(1990年)の前に、文体活動が再開した。
ハイキング部では、年に5回ぐらい行事を行った。
画像をクリックするとスライドショーが見れます

2度の倒産
会社更生法適用は、1975年。
1975年から1990年まで職場再建を闘った。
和議申請は、1996年。
終結は2002年。
1970年代、労働組合つぶしの攻撃が吹き荒れた。
倒産攻撃で職場の破壊が行われた。
大阪亜鉛では、会社更生法の申請であった。
倒産後すぐに、会社の塀に官製合理化攻撃粉砕の横幕が掲げられた。



1997年11月和議申請が行なわれた。
2度目の倒産にどう立ち向かうのか。
職場の苦闘が始まった。
和議申請後の構内での団結餅つき大会。
労働組合文書
- 春雷(議案書) 1980年10月
- 会社更生法下の4年の闘い 1979年
- 職場改革の取り組み 職場ビラの綴り
- 和議下の闘い 和議申立前後の状況 職場ビラの綴り
- 第39回定期大会議案書 1996年9月
- 第40回定期大会議案書 1997年9月
- 和議申し立て後の 闘魂ビラ
- 和議を離脱して 闘魂ビラ
- 組合結成30周年誌 1987年
- 組合結成40周年誌 1996年
- 和議終結・組合結成45周年誌 2003年
- 組合結成45周年 メッセージ集 2003年
- 橋井美信 還暦記念誌 1992年4月
- 濱野隆規 キューバ訪問記 2000年1月
職場風景

会社創業当時 (1952年) 三十間堀からの入江が会社の周辺を取巻いていた。大阪市港区の「福崎村」と呼ばれていた。


小釜 1952年頃

鋼管継ぎ手の半自動メッキ装置

会社全景 1962年ごろ

会社全景 1970年頃
このサイトについて:更新は2025年10月。更新前に2,481人の訪問があった。 最初の開設は、2016年5月。
つながりの記録
:10月(10/13更新~) 表示数147回 訪問者40人
:11月 表示数135回 訪問者24人
:12月 表示数53回 訪問者38人
お詫び
10月25日から27日まで「公開準備中」( 公開閉鎖 )にしていました。
紐づけている、グーグルアカウントが休止になって、復旧作業をしていた為です。





